Book Picks

【本】★★★★1/2
題名:ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」
著者:高瀬毅
(2009/ 平凡社)

少なからずショックを受ける。もしこの歴史的な「負の遺産」が現存していたならば、何かが大きく違っていた。それだけは分かる。取り壊し計画を進める巨大 な影の巧妙な心理作戦が、恐ろしい。「そのとき」に「そこにあったもの」が発する圧倒的な存在感は、広島で体験できる。長崎にあったのは、日本有数のクリ スチャンコミュニティーで被爆した廃墟カテドラル。その影響力は、原爆ドームよりも強く人々を動かす原動力になり得たのかもしれないのだから。

Book Picks

【本】★★★★★
題名:トランクの中の日本
写真:Joe O’Donnell ジョー・オダネル
(1995/ 小学館)

第35回放送文化基金賞・テレビドキュメンタリー番組・本賞を受賞した『NHKスペシャル・解かれた封印~米軍カメラ マンが見たNAGASAKI』という素晴らしいドキュメンタリーを観て、恥ずかしながらはじめてジョー・オダネルさんのことを知り ました。この写真集は、日記調になっているのでオダネルさんの心の変化がよくわかります。違反と知りながら爆撃直後の広島、長崎、日本各地の惨状を撮影した写真の 数々。湧いてくる葛藤、そのすべてを封印した。およそ半世紀後、米国を敵にまわすと知りながら拭えない記憶が詰まったトランクを開けた。これは明らかに間 違っている、それだけはよくわかる。「ヒロシマ以後、理論なんて成立しないよ」どこかで聞いた言葉を思い出す。


読者の方々へ

私、ジョー・オダネルは、アメリカ海兵隊のカメラマンとして、1945年9月2日に佐世保に近い海岸に上陸した。空襲による被害状況を記録する使命を受 け、23歳の軍曹だった私は、日本各地を歩くことになった。

私用のカメラも携え、日本の本土を佐世保、福岡から神戸まで、そしてもちろん広島、長崎も含めた50以上の市町村に足をのばした。カメラのレンズを通し て、そのとき見た風景の数々が、のちに私の人生を変えてしまうことになろうとはは知る由もなかった。

1946年3月、本国に帰還した私は、持ち帰ったネガをトランクに納め、二度と再び開くことはないだろうと思いながら蓋を閉じた。生きていくためにすべて を忘れてしまいたかったのだ。

しかし45年後、戦後の日本各地で目撃した悪夢のような情景からどうしても逃げられないと思うようになった。私はトランクを開けると、湿気からもネズミの 害からも奇跡的に無償だったネガを現像し、写真展を開催した。

この本は私の物語である。私自身の言葉で、私の撮影した写真で、戦後直後の日本で出会った人々の有り様を、荒涼とした被爆地を、被爆者たちの苦しみを語っ ている。胸をつかれるような写真を見ていると、私は否応なく、辛かった1945年当時に引き戻されてしまう。そして、私のこの物語を読んでくださった読者 の方々には、なぜひとりの男が、終戦直後の日本行脚を忘却の彼方に押しやることができず、ネガをトランクから取り出してまとめたか、その心情を理解してい ただけると思う。

1995年4月  ジョー・オダネル

Book Picks

【本】★★★★
題名:美しいこと
著者:赤木明登
(2009/ 新潮社)

『美しいもの』の続編。やはり写真が美しい。それだけでいいような気にもなってくる。丁寧に出会いを重ね続け、文章も書き手と対称の距離の感触を伝えようとしている姿勢が伺える。文字組の違いで、伝わり方も変わってくるのか、という発見もあり。心地よく嗅覚や触覚が刺激されるイメージ、パラパラめくると清々しい心持ちになったり、美しくならなければならない意味にちょっとハッとしたりする。







食す

台所は、いつもどこかちょっと生々しい。
食べられるものにとって、そこは殺戮の現場であり、
食べるものにとって、そこは命の糧を得る場所だから。
他者の命を奪い、生きていくものの感謝と祈りが、
台所の道具を美しい形にし、作法を生み出す。
だからこそ、台所は汚れていてはいけない。
食具は美しくなければいけない。

(p.66)

Book Picks

【本】★★★★
題名:美しいもの
著者:赤木明登
(2006/ 新潮社)

気取らなく何気なく、それでいて芯のある美しいもの。あのヨーガン・レールさんにお菓子屋さんの高橋台一さんなど、ジャンルは違えど紹介されている方々の感覚や生活スタイルの共通したトーンが清々しい。生業がまた素敵な輪を繋げている。肩肘はらずアートもデザインも日常にとけ込んでいる、新しく懐かしく温かい日本の未来。いつか、そんなお手伝いができれば、とても幸福な人生だと思う。

前回紹介した、グラフィックデザイナー山口信博さんがおっしゃっていた「余白の奥行」っていう言葉は、なかなか印象深いのです。


「余白」は小生にとって重要なことだと改めて認識しました。仕事中の昼寝も「余白」なのかもしれません。さらに病を得ていた中学二年の冬から三年の秋までの時期が、実は余白だったのかもしれません。健康に対して病気も余白的です。さらに中学浪人の一年間も「余白」ですし、高校三年間も、学校をさぼって上野の西洋美術館に行って、ロダンを見ていたり、神保町へ廻って、北園克衛『Vou』をみつけたりして、ほどんど「空白」「余白」だらけ。活版の中に「余った白ではない」「充実した無としての余白」を発見する以前に、「余白」の時間を体験していたのだと改めて気づいたしだいです。「図」に対して「地」。「生」に対して「死」。それら対立概念を同時的にとらえて行うということが、自分の中にあるのかもしれません。それが「余白の奥行」なのかもしれません。

山口拝

(p.80)

Book Picks

【本】★★★★
題名:白の消息 ー骨壺から北園克衛までー
著者:山口信博
(2006/ 株式会社ラトルズ)

骨壺にはじまり、洗面器、菓子盆、風見など、とりとめのないものの中にある何かを選びだす姿勢にブレはない。それらは高級な芸術品や骨董品ではなく、人をほっとさせて、なおかつ魅了するもの。気取らないけど、凛としている品々。多くの言葉では語れていないが、この著者の創り出すもの、人間観察、人生観みたいなものが全て語られているような、そんな心持ちに読者はなるのでした。

時間を経ても、時間を経るからこそ、その中にある『艶』が活き活きとするもの。
私が本当にいいと思えるのも、こうした『艶』があるものだったのか。

今更ながら、言葉できちんと理解してみると気持ちがいいものです。